【花魁衣装で成人式の人見て!】250年前の江戸時代に誕生した[花魁]をカラー画像で振り返えりながら壮絶な一生を解説! [ヨッシー世界の歴史]


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 今回は新発見もきっと多いと思いますよ!

 

出典
НОВОСТИ В ФОТОГРАФИЯХ
国立国会図書館

参考
wikipedia/花魁

 

以下、動画の内容の書き起こしです。

 

 どーも、インタレストTV運営人の「ヨッシー」です。という訳でね、今回はズバリ「江戸時代の吉原の遊女」についてです。

 

 その中でも、とりわけ”花魁(おいらん)“についてご紹介して行きたいと思いますが、そもそもこの花魁とは一体何なのでしょうか? 皆さん分かりますか?

 

 一説では、今から約250年前の江戸中期に、それまで広く呼ばれていた「太夫(たゆう)」という呼び名に変わる形で、この花魁が使われるようになったとの事ですが、まぁどちらにしても、「イメージ的にはなんとなく分かるけど、その詳細までは知らない」という方がほとんどかと思います。

 

 という訳で、今回は、そんな彼女達の事を、写真と共に詳しく解説しながら、その一生について見て行きたいと思います。それではスタート!

 

花魁とは? 花魁になるまでを分かりやすく解説




 

 さて、花魁と言えば、よく「花魁道中(おいらんどうちゅう)」なんて言葉を耳にしますが、これは「新造(しんぞ)」といった新米遊女や、「禿(かぶろ)」といった小間使いの子供を引き連れて、遊郭内(ゆうかくない)の引手茶屋(ひきてぢゃや)まで、お客を迎えに行った事を指して言うそうですね。

 

 ちなみに、遊郭とは現代版で分かりやすく言うと風俗街の事で、引手茶屋は、イメージ的には風○案内所と喫茶店が合わさった物の事を指して言います。

 

 話を戻しまして、いずれにしても道中は、豪華絢爛な衣装を身にまとって、尚且つ大勢を引き連れて歩いていた訳ですから、きっと周りには高嶺の花として映っていた事でしょうね。

 

 つまり、こういった部分を踏まえても分かる通り、花魁とは吉原の遊女の中でも、最高位に位置する女性の事を指して使われる言葉という事です。とにかく、幼い頃から三味線や和歌、あとは茶道や書道など徹底的に仕込まれていたようですね。

 

 なので、その外見の美しさはもちろんの事、より芸事の技能が高いと評価を受けた女性だけが、この「花魁」になれたという訳です。

 

 ちなみに、花魁になる女性というのは、まだ幼い5歳~10歳位の子供の頃から、まずは「禿(かぶろ)」として、花魁の身の回りの世話や雑用などをこなしながら生きて行きます。その中で、読み書きやしきたり、芸事などを色々と学んで行くようです。

 

 で、その後は16歳~17歳くらいで、「新造(しんぞ)」として、同じく花魁の身の回りの世話をしながら、接客について深く学んで行ったようですね。この時に「水揚げ」と呼ばれる、いわゆる処○喪失の経験も済ませるとの事です。

 

 ちなみに、この水揚げの際は、初めての経験という事で、極力嫌な思いをしないように、水揚げ専門の男性が枕を共にすると言われています。とにかく最新の注意を払っていたようですね。

 

 あ! それと、この新造(しんぞ)までの間は、皆で大部屋に雑魚寝する事が一般的で、性接待も「廻し部屋」と呼ばれる共用の大部屋の中で、屏風(びょうぶ)一枚で仕切られた寝床を使い、事に及んでいたようです。

 

 要するに、この新造(しんぞ)までの間というのは、かなり過酷な環境下で働いていたという事になりますね。その後、花魁に上り詰めると、初めてそこで豪華な個室が与えられたという事なので、このことから、かなりヒエラルキー的な階級制度があった事が伺えます。

 

 で、晴れて遊女としてデビューした後は、その後10年間は働かなくてはいけないとされていましたが、これは「年季」と呼ばれていて、大体27歳位辺りが年季明けとされていたようですね。

 

 つまり、幼少からの下積み時代は、年季には入っていないという計算になりますから、多くの遊女は約20年の間、遊郭で働かなくてはならなかったという事になります。

 

 このことから、どうでしょうか? そんな中で、彼女達は必死に頑張っていたと思うと、ちょっと胸が痛くなりませんか? 10歳未満で親元を離れるだけでも辛いのに、その後色々とかなり辛い思いをするのですから、もし自分だったらと考えるとゾッとしますよね。

 

 ちなみに、花魁を指名する際の気になるお値段は、なんと1晩で最低でも15両、これは現代のお金に換算すると約60万円が必要とされていたようです。

 

 このお値段というのは、ご祝儀代や宴会代なども全て含めた込み込みの値段だったようですが、いずれにしても60万円ってかなり凄いですよね。

 

 ただし、お金を払ったからと言って誰でも相手されるわけではありません。まず最初に気に入られる必要があったんですね。さすが”花の花魁”と言われるだけあります。


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花魁という言葉の使われ始めと廓言葉について




 

 この花魁という言葉の使われ始めについてですが、こちらは諸説あるようですが、個人的に調べてみたところ、どうやら先程お伝えした妹分である「禿(かむろ)」や「新造(しんぞ)などが、「おいらん姉さんの所」という意味で使いはじめたのが、その起源と言われているようですね。

 

 いずれにしても、これは「廓言葉(くるわことば)」から派生したものと言われています。

 

 ちなみに、廓言葉とはなんぞや?という話ですが、例えば皆さん「ありんす」や「きなんし」、「おいでなんし」とか言う言葉を、たまに大河ドラマやアニメなどで耳にした事はありませんか? ありますよね?

 

 僕の場合はアニメ「銀魂」で、”月詠”という自警団の棟梁が使っているのを耳にした事がありますが、いずれにしてもこの廓言葉(くるわことば)は、現実では方言を隠す為に、教養の一環として教え込まれていたものと言われています。

 

花魁は貧しい家庭の出が多く妓楼に売られた?




 

 さて、この花魁(おいらん)を含む遊女(ゆうじょ)は、主に貧しい農村や漁村、没落した商家や下級武士の家の出が多く、殆どが借金のかたとして「女衒(ぜげん)」と呼ばれる仲介人を介して、妓楼(ぎろう)に売られたという経緯があるようです。

 

 あっ! ちなみに、「妓楼(ぎろう)」とはなんぞや?という話ですが、こちらは要するに、遊郭にあった建物の名称の事ですね。主に2階建てで、規模や格式の違いで、小見世・中見世・大見世と呼ばれる物があったようです。

 

 ちなみに、上級遊女であった花魁が居たのは、一番大きな大見世小屋です。この大見世小屋は、かなり大規模で、人数も100人を超える人が出入りしていたようですよ!

 

 それと、この妓楼(ぎろう)では、どのような仕組みでお客が遊女を選んでいたかというと、主に1階にある「張見世(はりみせ)」と呼ばれるところで、格子越しに並んでいる遊女の中から、選んでいたとされています。これを「見立て」と呼ぶそうですね。

 

 ちなみに、馴染みの遊女がいるお客さんの場合は、すぐに二階へと通されていたようですが、一見で遊女に気に入られなかったお客などは、二度目はすぐに通されずに、遊女側から選ぶというシステムが取られていたようです。

 

 あとは、刀などの危険なものは、必ず預けるという仕組みになっていたようですね。


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花魁(遊女)の身請けとその後について




 

 当時の日本では、表向きは幕府により○○売買が禁止されていましたが、彼女達は建前として「妓楼(ぎろう)に奉仕している奉公人」という形で処理されていました。

 

 まぁこの辺は今と通ずるものがありますね。例えば風俗とかも本当は違法なんだけど、なぜか堂々と商売出来てるみたいな。うん。

 

 で、先程もお伝えした通り、花魁を含む遊女達は、借金のかたにこの妓楼(ぎろう)に連れて来られている訳ですが、その多くは働けど働けど、中々借金を返し終わる事が出来なかったそうです。

 

 これは何故かと言いますと、元からあった借金の他にも、例えば着物代やおしろい代、他にも布団代など、とにかくありとあらゆる身の回り物全てが自腹だったからと言われていますね。

 

 ちなみに、一般的に借金を全て返す方法として、「身請け」というシステムで、お客である男性が気に入った遊女の借金の残額を一括で支払い、その後に仕事を辞めさせるという方法があったようです。

 

 この身請けとは、まずお客である男性が、店の楼主(ろうぬし)に気にいった遊女の身請けをしたいという風に申し出ます。そこで、楼主(ろうぬし)の許可が降りて、初めてその男性客は、借金の残額を一括で支払い身請けする事が出来るんです。

 

 ちなみに、遊女には「花魁」の他にも、「格子(こうし)」や「散茶」、「梅茶」や「五寸局(ごすんつぼね)」、その他にも「三寸局(さんすんつぼね)」や「なみ局」、「次(つぎ)」の全8階級があったとされていますが、だいたい真ん中の「梅茶」あたりで約50両、現在で言うところの約1千万円余りの見受け金が必要だったと言われています。

 

 ちなみに、花魁ともなれば、借金やご祝儀代などの代金全てコミコミで、約7千万円が掛かったと言われているようですよ! 7千万円ですよ! もの凄い金額ですよね!

 

 まぁ人を買う値段という事で考えると、安いんじゃない?という意見はあるかと思いますし、倫理的にはまず問題外ですが、いずれにしても、この身請けが出来るのは、一部の相当なお金持ちだけだったようです。

 

 ちなみに、身請けする日には、妓楼(ぎろう)では赤飯と共に豪華絢爛な「祝の膳」を用意して、その後、それを食べ終えてから、表に用意された「籠」にて、遊女は遊郭を去ったとされています。

 

 その後は、その引き取った男性の愛人になる事がほとんどだったようですが、中には地方の商人などが、花魁の読み書きのレベルの高さや、その他の教養の高さなどに目をつけ、見受けした後に、正式に妻として一緒に生活するという事などもあったようですね。


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ハッピーエンドばかりではない花魁の末路




 

 さて、ここまでは、幼い頃に妓楼(ぎろう)に売られ、その後厳しい教養や芸事などを乗り越えて、最後は大金持ちに引き取られて、ハッピーエンドという話をお伝えしましたが、これはあくまでもいい結末の話です。

 

 これはどういう事かと言いますと、中には最悪な結末などもあったという事ですね。これって何だと思います? それはズバリ「○感染症」です。その中でも、特に○毒などにかかり、最後は孤独死を迎えるというケースなども珍しく無かったようですね。

 

 これは、避妊具が無かった時代ですから、当然と言えば当然の事かとは思いますが、いずれにしても、比較的高確率で起こった事と言われています。

 

 とにかく、この時代は○毒に対する有効な治療法が無かった訳ですから、一度発症したら、その後はただ漢方薬などで痛みを和らげながら、天命を待つのみだったとの事です。

 

 まぁこの○毒は、見た目的にもイボが出来たり、顔がものすごく腫れ上がったりと、とにかく醜悪な見た目になりますから、きっと最後はゴミのような扱いだったでしょうね。絶望の中で一生を終えた事が容易に想像出来ます。

 

 ちなみに、この他にも、例えば別な病気に掛かったり、子供を○絶したり、中には心中などをした遊女などもいたようですが、特に心中については、逃亡に失敗すると、その後大変な罰が待っていたようですね。見せしめとして、○されたりする例などもあったようです。

 

 それと、その他にも、「年季」を無事終えても借金が残っているという事で、吉原の端にある「河岸見世(かしみせ)」と呼ばれる安い妓楼(ぎろう)や、宿場街(しゅくばまち)の女郎屋などで性を売って生活するという例も珍しく無かったようでね。

 

 あとは、妓楼に残り花魁の身の回りの世話をする「番頭新造(ばんとうしんぞ)」というものになったり、遊女の管理や監視などをする、「遣手(やりて)」として働いた事例などもあったようです。


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吉原の花魁についての動画-終わりに-




 

 さて今回は、花魁とは一体何なのか?という部分を始めとして、その他にも、最後はどうなるのか?という気になる部分について、詳しく調べてご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか?

 

 ちなみに、冒頭でお伝えした通り、江戸時代初期にこの花魁が誕生した当初は、「太夫(たゆう)」と呼ばれていたようですが、その後、宝暦(ほうれき)、つまり江戸時代中期辺りに、この呼び名から花魁に変わっていったようですね。

 

 まぁどっちにしても、同じ最高位の遊女という訳です。ちなみに、関西では「太夫」という呼び名が主流だったようですが、両者の明確な違いとしては、自身を売るか芸を売るかといった違いにあったようです。

 

 まぁ、いずれにしても彼女達は、借金のカタに遊郭に売られているという点では同じですから、最後は一般的な遊女と同じく、良くて身請け、悪くて何かしらの形で、プライドをかなぐり捨て働き続けなきゃならないという現実が待っていた訳ですね。

 

 特に、最高位の花魁や太夫の女性ともなると、とにかく気位の高い女性が多かったでしょうから、その後、ランクの低い違法な宿場街(しゅくばまち)で女郎として生きる人生などは、精神的に相当きついものがあったのではないかと思います。

 

 あとは、最悪なものでいうと、やはり○感染症による死などですね。こうなると、自分の手ではどうにも出来ませんから、きっと自ら命を断つ人もいたのではないでしょうか?

 

 その他にも、現役時代はもちろんのこと、無事身請けされた後なども、彼女たちはもっぱら差別の対象にあったようです。

 

 まぁこの辺はいつの時代も多かれ少なからある部分ですが、いずれにせよ、吉原という遊郭街は、特殊な常識の中で守られていたと言う他ありませんね。

 

 という訳で、この「花魁」は、その華やかなイメージとは裏腹に、最初に厳しい修行をしてその後自身の体を売り、終わってからも厳しい環境の中で一生を過ごしていたという事が分かりましたが、いずれにしても、その背景には沢山の涙が流れたことでしょうね。

 

 そう考えてみると、例えば最近成人式などで花魁姿の着付けなどが流行っていますが、ただオシャレだから着たいというのではなく、今後は着物をどういう風に着るのか?という見方自体を変えてみてはいかがでしょうか?

 

 いずれにしても、実際にそういった形で着物を着る予定だという女性は、これを気にその歴史の重みについて、今一度考えてみる事をオススメします。

 

 という訳で、以上「カラー写真と共に当時を振り返りながら花魁の歴史について語る」でした。ではまた会いましょう!

 

 【驚愕】140年前の美しき花魁・遊女 貴重な古写真(Youtube/雑学とりびあんより)

 

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