かつて長野県・天龍村に存在していた闇の風習「おじろく・おばさ」(怖い話,怖い,日本,しきたり,奇習,田舎)[令和TV闇雑学]


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 日本の山間部などの集落には、かつて様々な独自の風習が存在していたと言われています。今回は、その中から”奇習”として名高い「おじろく・おばさ」について、詳しくご紹介して行きたいと思います。
p.s.日にち開いちゃってすいません。今回情報収集に手間取りました…^^; あと照明つけ忘れで若干背景透過しきれてない部分がありますが、気にしないで下さい(アハ) それと、次回への励みとなりますので、よければ動画への高評価やシェアの方をよろしくお願いしますm(__)m(コメントもお待ちしております。)

 

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■引用元(参考元)


○引用元
・(C)未文化社会のアウトサイダー (精神医学 6巻6号) | 医書.jp
・(C)開放病棟―精神科医の苦闘(1975年)-近藤 廉治(著)(合同出版-第2章三つの私立病院時代)P40~49
・(C)Googleマップ
○参考元
神原村 (長野県) – Wikipedia
おじろく、おばさ
【画像】封印された日本のタブー…人権を無視した某集落の奇習「おじろく・おばさ」 | ニコニコニュース
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 吃音入ってて滑舌が悪くてすいませんm(_ _)m 以下、動画の内容を書き起こしているので、聞き取れない箇所(字幕の無い箇所)があった時などにご利用下さい。(記事の内容によっては、文章内で一部伏せ字(○)を使用させて頂いています。)

 

 長男以外の人間は、結婚も出来ず世間との交流も図れない。そして、死ぬまで家の為に無償で働き続ける…。このような恐ろしい話が、実は過去に日本に存在していた。

 

 それは、長野県下伊那郡にある天龍村(旧:神原村)にて、かつて存在した「おじろく(男)・おばさ(女)」という風習だ。

 

 この「おじろく・おばさ」だが、早い話が人が人に対して行う奴隷制度のようなものであり、その実情は家督を継いだ者以外は「下人」のように扱われるという何とも驚くべき話なのだ。

 

 その為、一部の人間の間では「闇の風習」や「奇習」などとも言われ、今現在でもその実情を知る者からは忌み嫌われている…。


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 では、一体なぜこのような哀しき風習が生まれてしまったのであろうか? 今回はその辺の背景について詳しくお伝えして行こうと思う。

 

 人権蹂躙とさえ言える、この闇の奇習の裏にあった驚くべき真実とは? 怪奇の扉へようこそ…

 

天龍村(旧:神原村)にかつて本当にあった恐ろしい奇習「おじろく・おばさ」




 

 「おじろく・おばさ」一説では16世紀から17世紀頃にかけて始まったとされる風習だが、明治5年頃には人口約2,000人の村に対して190人、そして昭和35年頃(最終的な現存が確認された年)には、男女合わせて3人のおじろく・おばさが実在していたと言われている。

 

 その背景には、何やら江戸時代に制定された「分地制限令」と、そこから自然発生的に定着して行った「嫡子単独相続制(長男相続)」などが大きく関わっているというのだが…。

 ※分地制限令:農民の零細化を防ぐ為、幕府が農民に対して所持田畑の分割相続を制限した法令。


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 昔から、山間(やまあい)に隔たれた村や集落では独自の文化が形成される事が多かったが、当時の神原村(現:天龍村)も例外では無かった。

 

 そもそも、平地と言えるような場所が殆ど無く耕地面積の少ないこの村では、家長となる長男以下の子供(次男や女子)を十分に養う余裕が無い。その為、誰が考えついたのか、嫡子単独相続制を元にした人口制限法とも言えるこの「おじろく・おばさ」が生まれ、そこから根付いてしまったのだ。

 

 ちなみに、この「おじろく・おばさに」になった男女だが、彼らの多くは幼少時から家庭内で「弟や妹は兄に従うものだ」という教育を親から受け、尚且つ「兄の為に働くのが当たり前」という洗脳教育にも似た刷り込みなどを受ける。

 

 例えば、家が繁忙期で人手が足りない時などは、長男が学校へ行っている間でも彼らは家の為に仕事を手伝わされていたという…。

 

 そして、成長と共に兄との扱いの違いを受け入れるようになり、また親達も長男以外はそのように育てる事が普通だと思っていた為、特段「ひどい仕打ちだ」と声を挙げる者などもいなかったとも言われている。

 

 ちなみに、何故彼らの多くが掟を破り村を出なかったのかと言うと、「おじろく・おばさが外へ出ることは非常識で悪い事だ」という教えがあった為であり、そういった理由からか、ほとんどの者が村を出ずに一生を過ごし、また稀に外へ出た者であってもすぐに村へと舞い戻って来たという。

 

 その他にも、この「おじろく・おばさ」にはその厳酷さを裏付ける様なエピソードがいくつもあり、例えば食事は最低限の粗末な物で寝床は納屋か物置だったとも言われている。

 

 また、家庭内での地位は家督である長男の妻子よりも低いと言われ、更に戸籍上は「厄介」とだけ記載され、婿養子や他の家に嫁ぐでもしない限り結婚なども禁じられていたという…。

 

 そして、村の祭りなどにも参加する事が出来ず他の村民との交流もほとんど無かった為、その多くが人としての喜びや夢さえも持たず、ただただ機械のように命果てるまで働き続けその一生を終えたとも言われている。もちろん、家の仕事をしたからと言っても報酬などは無い。

 

 そんな奴隷めいた生活が、彼らに対してある種の精神障害をもたらしたのか、この「おじろく・おばさ」になった男女の殆どは無感情な人間となり、命令された事以外の行動は殆ど出来なくなってしまったとも言われている。

 

 更に、外面的にも無表情で話かけれられても挨拶すら出来ない…。まさに「生きる屍」と化してた訳だが、そんな実情を憂いたのかもしくはただの研究の為だったのか、ある時「近藤廉治(こんどう れんじ)」という一人の精神科医が、彼らの元を訪れてとある調査を行った。

 

 まず、おじろく・おばさ複数人にコンタクトを取ってみるが、彼らにいくら話しかけても無視される為、”(山間部の住民の)高血圧の調査人”という己の立場を活かし、アミタール(睡眠鎮静剤)を投与して再度コンタクトを図った。

 

 すると、徐々に固く無表情だった顔が和らぎ、ぽつりぽつりと質問に対してこのように答えるようになったという。

 

 以下、『開放病棟―精神科医の苦闘(1975年)-近藤 廉治(著)』より2つの症例を抜粋。

 

 症例a── 女性、明治34年生まれ、精神病の負因はない。幼少時おとなしく、すなおで、小学校の成績は上位。24歳ごろまでは隣部落へ養蚕の手伝いくらいには行ったが、その後は頼まれても行かず、もともと不愛想で無口であったが、27歳ごろから、ますます著しくなったものの、逆らったり、ひねくれたりすることもなく素直に働き、家人とも話をしなかった。検査時、高血圧を認めたが、ほかに身体的異常所見はなかった。検査に訪れると稲こきの手伝いの人4、5人と食事をしていたが、挨拶しても本人だけは見向きもせず知らぬ顔をしていて、他の者が喋っても何もいわず、無表情であり、他の者が笑っても本人だけは笑いもしない。診察は血圧を計らせるだけで、奥の部屋に逃げこもうとするので、4回にわたってアミタール面接(註)をしたところ表情はいくぶん和らぎ笑顔も見せ、少しは話もするようになった。(中略)彼女とのあいだの少ない問答のなかから要点をつまむと、生年月日は知っている。学校は特別好きでもなかった。友人は少しはあった。百姓の手伝い、養蚕をやった。他家へ行くのは嫌いであった。親しくもならなかった。話も別にしなかった。面白いこと、楽しい思い出もなかった。

 

 症例b── 男性、明治20年生まれ。精神病の負因はない。小学校のときは中位の成績で、おとなしい几帳面な性格であった。小学校卒業後、畑や山の仕事の手伝いをし、18─20歳で隣部落の大工について技術を身につけた。21歳のとき徴兵検査で飯田まで出たのが一生のあいだに村を出た唯一のことである。26歳ごろまで畑仕事や近所に頼まれた大工仕事をしたが、次第に無口になり、兄のいいつけるままに、畑、大工の仕事を根気よくやった。なんど会っても打ち解けず無愛想で、他人がくると引っ込むか、知らん顔をしているだけで、挨拶をしても見向きもしない。硬さや冷たさはないが表情に乏しい。兄が無理に連れ出してくると診察は拒まないが、応答しない。勝手にタバコをすったり茶を飲んだり、いろり端に横になったり、無遠慮である。やはりアミタールを用いれば簡単なことには応答する。明治20年生まれで、4年まで学校に行き、徴兵検査前に大工仕事を習い、楽しいことも辛いこともなく、仕事をしても金になったかどうか知らず、不満もなく、金を使ったこともなく、友人もない。徴兵検査には飯田まで歩いて往復3日かかったが、面白いこともなく、女遊びもせず、町へ行ってみようとも思わない。簡単な記憶の検査には応ずるが、字を読み書きする検査には応じてくれない。新聞も読まず、せいぜいラジオの浪花節をきくくらいのものである。しかし、洗濯、つくろいものは自分でやり、大工仕事は年のせいで手足が不自由なのでやらない。世の中を嫌と思ったこともなく、人と話したいこともなく、こんな生活をばからしいとも思わず、希望もなく、不満もない。

 出典:『開放病棟―精神科医の苦闘(1975年)-近藤 廉治(著)(合同出版-第2章三つの私立病院時代)P40~49』

 

 以上、このような感じとなっているが、何にしても「おじろく・おばさ」になった人間の多くが何事にも無関心で感情に乏しく、更に自発性が無かった事などが伺える。

 

 この調査で精神科医である近藤は、元々の自身の推論であった「精神障害者が多い集落」、「村を出る気概の無い者だけが残った結果」という己の解釈が間違いであり、更に長年の慣習に縛られた環境要因によって人格変化を起こしてしまったのでは無いか?という一つの結論に達した。

 

 確かに、彼らの多くが幼少期は普通で青年期に人格が変わってしまったという背景を鑑みても、この結果には納得出来る部分がある。

 

 という訳で、この事から人間というのは、一度住む場所や環境等が変われば、その常識だけではなくあまつさえ人格さえも変わってしまう移ろいやすい生き物だという事が分かるが、例えば現代においてもカルト宗教やブラック企業の違法めいた慣習と、それに付き従う人間などを例に挙げれば、この辺は頷ける部分もあるだろう。

 

 それだけ、”外部から疎外された環境というのは人の人格に影響を与える”という事だ。本来であれば「おかしい」とか「酷い」とか思えるような事さえも、いざそこに入り洗脳状態に陥ってしまうとそれが普通となってしまうから恐ろしい…。

 

 何にしても、今回ご紹介した「おじろく・おばさ」という奇習は、その村社会を守る為に止む終えなかった部分などもあるのかもしれないが、このように何かしら異常めいたものというのは、やはり最後は影を落とし没落して行く。

 

 いずれにしても、「みなで同じ方向を向き続ける」という並外れた協調性と帰属精神というのは、時に良い方向にも悪い方向にも向きかねないという事を、改めて考えさせられるような何とも哀しい話だ…。

 

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